山笠について

このページでは、我々が1年に1度魂を燃やす対象である、「山笠(やま)」をご紹介します。

幟山笠と踊り山笠

現在では、幟(のぼり)山笠だけになっていますが、以前は、踊(おど)り山笠も川渡りを行っていました。
幟山笠は、前後二段屋根になっており、前方屋根の下は祭壇造りになっています。また、山笠の四方に上幕を張り山笠の中(囃子場)が見えないようになっており、高さ約10mの真棒(しんぼう)が中央に立ち、バレンを揺らしながら進みます。

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幟山笠


踊り山笠は、切妻(きりづま・本を開いて伏せたような形)の一段屋根で、山笠の前方は踊り場、後ろ側は囃子場になっており、上幕はありません。これは山笠の中で舞踊を披露するためで、真棒(しんぼう)も立っていませんでした。

この踊り山笠は、陸上では踊り手が乗っているので激しい動きができないこと、川渡り時は、踊り手が乗らないので山笠の中がスカスカに見え華やかさが足りないこと、山笠の順番が後方に固定されており、「面白くない」という声がかつぎ手から上がっていたことなどや踊り手の減少もあって、山笠の老朽更新に伴い、自然と無くなっていきました。

道が狭く、電線が低く張り巡らされた市街地では、大きな真棒を立てて進行することが難しいことなどから、かつては、「商業地域は踊り山、農村部は幟山笠」という決まり(流行り)だったそうですが、地域の関係機関各位の協力により、電線が13m以上に統一されたこともあって、その決まり(流行り)は変わっていくこととなりました。

最近までの例では、橘が昭和55年に踊り山笠を廃止して幟山笠を建造、栄町も昭和55年に踊り山を幟山笠に改造し、さらに平成18年にそれを廃止して幟山笠を建造。
番田も昭和55年に踊り山笠を「太鼓山笠」に改造し、更には昭和63年にそれを廃止して幟山笠を建造して現在に至っています。

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平成17年まで使用された踊り山笠を幟山笠に改造した栄町の山笠


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太鼓山笠時代の番田地区の山笠


また、下の新町の以前の山笠は、昭和3年以前に踊り山笠として建造され、一度だけ踊り山笠として使用されたといわれており、その後は平成15年の幟山笠新造まで、踊り山笠を改造した幟山笠として参加していました。

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平成14年まで使用された踊り山笠を幟山笠に改造した新町の山笠



大正時代に生まれたといわれ、かつては6台もあったといわれる踊り山笠は、現在では1台も川渡りを行っていません。しかしながら橘には、現在でも幟山笠とは別にもう1台「川渡りを行わない踊り山笠」があり、祭り両日の伊田商店街内や田川伊田駅前で引き回され、お子さんたちの舞踊が披露されています。
*現在も残る橘地区の踊り山笠

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