山笠と書いて...
我々は ←これを「やま」と呼ぶ。小さい時からそう言ってきた。しかし、田川周辺の九州北部地域では「山笠」と呼ぶものが多い。その他の地域では「山鉾」と呼ぶところもあれば「山車(だし)」と呼ぶところもある。因みにキーボードで「だし」と打つと「山車」と変換されるところから、どうもこれがもっとも一般的な呼称らしい。
我々が「山」と呼ぶのは「山笠」「山車」「山鉾」のどれかを短縮して「山」と言っているのだろう。しかし、川渡り神幸祭の「山」は「山笠」とは違う。博多の祇園山笠には車輪はないし、神社を模した祭壇もない。どちらかというと「山車」だが、「だし」なんて言ったこともないし、聞いたこともない。
ホームページを作るにあたり、友志会でこのこと議題に話をしていたところ、「でも、山に山笠っち書いちょうやん」との意見が....確かに。
どういうことだろう?と思いウィキペディアで調べてみました。
山車(だし)とは祭の際に使われる出し物。豪華な装飾が施されていることが多い。神幸祭などでは、山車が町の中をねり歩き行列になる祭もある。
やま(「山」「山車」の表記のほか、車偏に「山」の国字の表記もある)、曳山(ひきやま、曳き山とも)、舁き山(かきやま)、担ぎ山、山鉾、鉾、山笠、祭車、屋台(主に長野県、岐阜県飛騨地方など中部地方)、地車(だんじり・だんぢり。主に関西地方)などと、地方によって様々な呼ばれ方をする。
山車(だし)の語源は、神殿や境内の外に出す出し物であるからとする説と依り代である髯籠(ひげこ)を出していたからだとする説などがある。山車は「出し物」全般を指すが、車の字がついていることから曳き山を指すことが多い。
地方によって、呼び方は様々なんですね。
どうも自分は、「中央での呼び名が正しく、地方での呼び名は亜流」みたいな中央集権的感覚に陥っていたようです。神幸祭自体が中央から伝わってきた文化であるという推測は、歴史的に見て確かだと思います。しかし、その後、田川という地域的特色の影響を受け、独自の文化として育った事も尊重すべきことだと思う。
ということで、福岡県田川市の川渡り神幸祭では「山笠」と書いて「やま」と呼んでいます。サイト内では「山笠」と表記しますが、読みは「やま」です。
ちなみに「神幸祭」も「じんこうさい」と読みます。「しんこうさい」と読む地域もあるようですが田川では「じんこうさい」です。
その他、山笠の細部についてもいろいろと、我々独自の呼び名があるようです。
投稿者:植木
山笠
幟(のぼり)山笠は屋根が前後二段になっています。屋根や軒下の彫刻は、鬼、龍や鶴など様々な種類があり、新造されたものもあれば前山笠から引き継がれたものもあります。

屋根の四隅には御幣(ごへい)が飾られており、前方には神社にてお祓いを受けた御幣、国旗が取り付けられています。
山笠本体の前方には祭壇があり、かたわらの柱には「山笠の順番、地区名、責任者名」などの看板が取り付けられています。

上幕は3~5段(色)で、旧小倉藩の家紋である「三蓋菱(さんがいびし)」もしくは、風治八幡宮の社紋である「左三つ巴(ひだりみつどもえ)」の刺繍が施されています。また、下幕は「どろ幕」とも呼ばれており、一色で、波をあしらった「怒涛」のデザインが多いようです。

大通りの上幕「三蓋菱(さんがいびし)」

栄町の上幕「左三つ巴(ひだりみつどもえ)」

下幕(「どろ幕」とも呼ばれています)
ちなみに、大通りの山笠には、川に入る直前に下幕の外側にドライアイスをぶら下げ、川に入った瞬間に白煙が湧き上がる仕掛けを施しています。

白煙が湧き上がる仕掛けを施している大通りの山笠
また、山笠には車輪がついていますが、川渡りの際に転倒しないよう直径900mm程度の松などを使用しており、また横幅を広くとっています。

新町の車輪受けは固い樫(かし)を使用しています
幟旗は白と赤(緋)があり、白には「風治八幡宮」「天下泰平」の記載があります。この白幕は、下伊田の発祥といわれています。1つの山笠には、白緋あわせて20本前後の幟旗が立てられています。

大通りの幟旗
幟旗は、竿の下部に紐を通して山笠の内部に結び付けていたり、山笠にパイプを装着して、それにはめ込んだりしています。

新町は、山笠にパイプを装着しています(屋上から見たところ)
ちなみに下伊田の山笠には、上部分をすっぽりと囲む「幕受け」という木枠が装着されており、図体が大きく見えます。この「幕受け」は他の山笠にはないものです。

下伊田の山笠(平成18年度。平成19年度に建造した山笠には幕受けがないようです)
○真棒(しんぼう)
山笠中央に立つ「真棒(しんぼう)」は、10m程度の高さがあり、下から「かご」「バレン」「箱」「三つ輪」「御幣(ごへい)」が取り付けられています。また、上部には竹を継いでいます。
山笠が地区内をまわっている時は、屋根の上で寝かされた状態となっており、13:30の風治八幡下集合の後、一斉に立てられます。
バレンの数は各山笠で違いますが、130本から200本もあり、「五穀豊穣(ごこくほうじょう)」の意味を持つ5色(緑・黄・赤・白・紫)となっている山笠が多いようです。しかし、川端町の「緑」、三井伊田の「紺」のように、地区のイメージカラーを定め採用している山笠もあります。このバレンは御利益があるとされ、まつり終了後は、地区内の各戸へ配布され、屋根の上や家の玄関などに飾られています。1本の長さは約5.5mです。

「かご」に挿す杉は、まつり当日の数日前程度に切ってきます。このかごは、「玉袋(神霊が依り憑く(よりつく)対象物)」の意味を持っているとのことです。
「箱」には、「風治八幡宮」「天下泰平」「地区名」「五月吉日」が記載されています。
「三つ輪」は金・銀色などとなっており「三方丸くおさまる」という意味とのことです。最近では電飾などが施されている山笠も見られ、まつりの夜に色を添えています。

夜の山笠
投稿者:駆(かける)
まつりのストーリー
「風治八幡宮 川渡り神幸祭(ふうじはちまんぐう かわわたりじんこうさい)」は、風治八幡宮の神様がみこしに乗り、1年に1度、川向こうのお旅所まで1泊2日の旅行を行い、各山笠は、そのお供をするというストーリーのまつりです。進行スケジュールをご紹介します。
【会場マップ(クリックすると大きく表示されます)】

初日(毎年5月第3日曜日の前日:'08年5月17日)
8:00~ 「各山笠出発」 各山笠は、13:30の集合時間まで自由行動とされています。朝8時ごろから出発して地区内の隅々まで回る山笠もあれば、集合場所に近いため、12時ごろ出発する山笠もあります。
(クリックしてください)新町の祭り2日間の進行経路
10:00 「白鳥(しらとり)神社例大祭、神幸祭祭典」 この祭典終了後、白鳥神社のみこしは風治八幡宮へ向けて出発します。白鳥神社
12:00 「風治八幡宮 例大祭」 風治八幡宮では、1年の節目ごとに祭典が行われていますが、その中でも、最も大きな祭典が行われます。風治八幡



13:30 「風治八幡宮 神幸祭祭典」 この祭りのスタートとなる祭典です。御神体をみこしに移し、出発準備を行います。風治八幡
13:30 山笠集合~飾り付け 各山笠は、各地区まわりを終え、13:30までに風治八幡下~伊田郵便局間に集合します。全山笠の到着後、バレンや幟旗を立てます。風治八幡下~伊田郵便局間



14:00 「獅子舞奉納」 出発前に安全を祈願し奉納されます。風治八幡
14:20ごろ 白鳥みこし到着 所定位置にて風治みこしが降りてくるのを待ちます。風治八幡下
14:30ごろ 風治みこし出発 神社境内を練り参道を下ります。風治八幡


14:40ごろ みこし合流 神社下の所定位置にて合流し、一旦山笠の側を通り抜け伊田郵便局へ向かいます。

14:50ごろ みこし伊田郵便局前出発~停車中の山笠の脇を通り抜け、JR田川伊田駅前を練り彦山川へ向かいます。

15:00ごろ みこし通過後1番山笠出発~JR田川伊田駅前で練ったのち、彦山川へ向かいます。2番山笠以降も順次出発します。


15:30ごろ 「獅子舞奉納」 川渡り前、河川敷にて安全を祈願し奉納されます。彦山川河川敷

16:00 「川渡り神事」 風治みこし、白鳥みこし、1~11番山笠(例外あり)の順で川に入ります。彦山川

17:00ごろ 「川渡り競演会」 みこしと山笠が整列し、山笠は囃子を止め、会場は静寂に包まれます。みこし指揮者の合図により、みこし2基が同時に立ち、山笠は「ガブリ(山笠を前後に倒す)」をひとしきり行い、「流れ終了」となります。
競演会終了後、みこしは上陸のため彦山川下流に向かい、1番山笠以降はこれに続きます。山笠の競争はこの後行われます。彦山川

17:10ごろ みこし上陸~新橋を経由しお旅所へ。1番山笠は、みこし2基がお旅所に入るまで手前で待ちます。
17:30ごろ みこしがお旅所に入った後、1~11番山笠の順でお旅所に入ります。そして、ひとしきりお旅所で練った後は、所定位置に山笠を納めて提灯などを飾りつけます。


18:00 「頓宮着輿祭」 みこしのお旅所到着を祝います。 お旅所
18:00 「獅子舞奉納」 みこしの無事到着を祝い奉納されます。 お旅所
2日目(毎年5月第3日曜日:'08年5月18日)
13:00 「頓宮還幸祭」 みこしの出発にあたり安全を祈願します。お旅所
13:00 「獅子舞奉納」 安全を祈願し奉納されます。お旅所

13:30 みこし出発~お旅所内で練った後、新橋を経由して彦山川へ向かいます。

13:40ごろ みこしがお旅所を出た後、11~1番山笠の順(例外あり)でお旅所内を練ります。
14:10ごろ みこしが新橋を経由し河川敷に降りたのち、各山笠は順に河川敷へ向かいます。

14:30ごろ 「川渡り神事」 風治みこし、白鳥みこし、11~1番山笠の順(例外あり)で川に入ります。彦山川

15:30ごろ みこし上陸~JR田川伊田駅前を経由し風治八幡宮へ。みこし上陸後は、11~1番山笠の順(例外あり)で順次上陸します。

16:30ごろ 1番山笠上陸
17:30 風治みこし帰還~「風治八幡宮本宮着輿祭」 風治八幡

17:30 「獅子舞奉納」 みこしの帰還を祝い奉納されます。風治八幡

17:30 「受け渡し式」 次年度の当番地区へ、「役」の受け渡しを行います。風治八幡
17:30ごろ 各山笠は、真棒や幟旗などを取り外したのち地元へ戻ります。風治八幡下~伊田郵便局間(一部新橋上)
19:00 「白鳥神社神幸祭祭典」 白鳥神社
19:00~ 各山笠は地元に到着後、幕などの飾りを取り外し解散となります。各地区
投稿者:駆(かける)
まつりの準備
日程は各山笠で違いますが、
山笠洗い

山笠補修

必要物(ボルト・ナット・ロープや色紙など)調達
バレン紙切り


バレン紙貼り


バレン組み立て



幟旗竿竹切り~加工



幟旗組み立て

差し又作成
御幣作成

三つ輪作成
はこ作成
杉取り~かご作成
お汐井取り
安全祈願

かき棒締め

提灯作成
飾りつけ

などがあります。これを祭りの4月はじめあたりから1~2か月の期間で行います。また、4月中旬から囃子の練習がまつり前日まで行われます。


鉄砲町は笛の練習も行っています

鉦の順番待ちをしている囃方は木材を叩いて練習します
そして前日、もしくは当日の午前中、山笠に幟旗、バレンを積みます。


なお、川端町は、かき棒締めに「葛(かずら)」を使用しており毎年山に取りに行っています。
当然ながら毎年同じ所に取りに行っても使用に耐える「葛(かずら)」が育っていないため、5~6年のスパンで場所のローテーションをしているそうです。その場所は「ヒミツ」とのことです。
投稿者:駆(かける)
幟山笠と踊り山笠
現在では、幟(のぼり)山笠だけになっていますが、以前は、踊(おど)り山笠も川渡りを行っていました。
幟山笠は、前後二段屋根になっており、前方屋根の下は祭壇造りになっています。また、山笠の四方に上幕を張り山笠の中(囃子場)が見えないようになっており、高さ約10mの真棒(しんぼう)が中央に立ち、バレンを揺らしながら進みます。

幟山笠
踊り山笠は、切妻(きりづま・本を開いて伏せたような形)の一段屋根で、山笠の前方は踊り場で、後ろ側は囃子場になっており、上幕はありません。これは山笠の中で舞踊を披露するためで、真棒(しんぼう)も立っていませんでした。
この踊り山笠は、陸上では踊り手が乗っているので激しい動きができないこと、かたや川渡り時、踊り手が乗らないので山笠の中がスカスカに見え華やかさが足りないこと、山笠の順番が後方に固定されていること、などから「面白くない」という声がかつぎ手から上がっていたことなどや踊り手の減少もあって、山笠の老朽更新に伴い、自然と無くなっていきました。
道が狭く、電線が低く張り巡らされた市街地では、大きな真棒を立てて進行することが難しいことなどから、かつては、「商業地域は踊り山、農村部は幟山笠」という決まり(流行り)だったそうですが、地域関係各位の協力により、電線が13m以上に統一されたこともあって、その決まり(流行り)は変わっていくこととなりました。
最近までの例では、橘が昭和55年に踊り山笠を廃止して幟山笠を建造、栄町も昭和55年に踊り山を幟山笠に改造し、さらに平成18年にそれを廃止して幟山笠を建造。
番田も昭和55年に踊り山笠を「太鼓山笠」に改造し、更には昭和63年にそれを廃止して幟山笠を建造して現在に至っています。

平成17年まで使用された踊り山笠を幟山笠に改造した栄町の山笠

太鼓山笠時代の番田地区の山笠
また、下の新町の以前の山笠は、昭和3年以前に踊り山笠として建造され、一度だけ踊り山笠として使用されたといわれており、その後は平成15年の幟山笠新造まで、踊り山笠を改造した幟山笠として参加していました。

平成14年まで使用された踊り山笠を幟山笠に改造した新町の山笠
大正時代に生まれたといわれ、かつては6台もあったといわれる踊り山笠は、現在では1台も川渡りを行っていません。しかしながら橘には、現在でも幟山笠とは別にもう1台「川渡りを行わない踊り山笠」があり、祭り両日の伊田商店街内で引き回され、お子さんたちの舞踊が披露されています。
*現在も残る橘地区の踊り山笠


投稿者:駆(かける)
囃子
各山笠の囃子を聴くことができます。色の違う部分をクリックしてください。
囃子は太鼓1、鉦(かね)2~3にて行われます。各山笠が、すべて違う「調子」です。古くから伝承されてきたもの。元々は他地区から教わり、同じだったものが次第に変化していったもの。元々踊り山笠の囃子を現在の幟山笠でも採用しているものなどさまざまです。
大きく分けると鉦の内側を叩くものと外側を叩く2種類があります。内鉦は、「チキチン・チキチン・チキチン・コンコン」という、元々踊り山笠が採用していた調子の良い囃子です。以前踊り山笠だった地区の採用が多いのは、その名残りと思われます。
鉦の内側を叩く栄町の練習風景
外鉦の山笠では、「笛」も併せて演奏されている下伊田・鉄砲町の囃子は、歴史が古いようです。この2地区は以前同じ行政区でした。それ以外の地区の囃子は、比較的最近作曲されたもののようです。
各地区の囃子で共通なのは、演奏の始めと終わり、山笠を持ち上げて練る時やみこしや他の山笠が側を通過する際、「ダブリ(連打)」を行うことです。

鉦の外側を叩く新町の練習風景

鉦の外側を叩き、笛もあわせて演奏する鉄砲町の練習風景
各山笠の囃子は、進行している場所などにより数パターンの種類があります。主には「1番」「2番」という呼び方ですが、新町では、風治八幡宮とお旅所で止まっているときの「きょうばやし」、川の中での「くもら」、それ以外の「さんくずし」という3パターンの囃子があります。また、新町には2つの鉦がありますが、下写真の大鉦は19kgもあります。ちなみに小鉦の方が重く、36kgもあるそうです。

新町の大鉦(撮影協力小林さん)(※重いため小鉦撮影は断念)
投稿者:駆(かける)
一番山笠 下伊田(しもいた)
集合写真(18年度)
法被
下伊田の山笠の歴史は古く、伊田村の時代よりあり、五穀豊穣、無病息災、天下泰平を祈念しています。
山笠の幕は5色に配した土幕でなり、紋は小笠原公の三蓋菱を配した伝統と風格のある山笠です。
また、昭和24年頃と思いますが、片岡千恵蔵、嵐寛十郎の主演する仁侠映画「龍虎伝」の撮影時に、片岡千恵蔵がこの山笠に乗って指揮を執り、川渡り神幸祭の勇壮な男意気を見せ、全国に紹介されたこともあります。

私たちは、田川に生まれ、子供の頃から山笠の綱を引き、鉦をたたき、青年時代は御神輿、山笠を担いで成長してきました。
春の草木の緑が一段と艶やかになり、神幸祭の鉦の音が聞こえてくると、身も心も高鳴り、身体に血がたぎるのを感じます。

投稿者:川渡り青年友志会
二番山笠 大通り(おおどおり)

集合写真(18年度)

法被

神幸祭には、30年以上参加しており、新山笠になってから今年で4年目になります。
バレンは大通り地区のカラーである、色鮮やかな赤と白をメインに作成しています。
川の中ではジェット風船を飛ばしたり、ドライアイスを使ったりして祭を盛り上げています。
4月初めから神幸祭の準備に入りましたが、困ったことに参加する子供の人数が少なく、鉦たたきの中学生が不足しているという状況になりました。
そんな中で、子供たちに神幸祭の伝統を引き継いでいくことが出来るのか?と不安を覚えましたが、無事神幸祭を迎えることが出来ました。

名物の賄い料理はカレーちゃんぽんです。前日からダシをとり、2日目の日曜日に山笠格納庫で食べる味は最高です。
大通り地区1人1人が情に厚く、熱血で神幸祭を心から愛している人ばかりです。
今後も神幸祭の伝統を次代に引き継いでいくように頑張りたいと思っています。

投稿者:川渡り青年友志会
三番山笠 下魚町(しもうおまち)

集合写真(18年度)

法被


炭鉱全盛期は踊り山笠でしたが、その後、昭和56年に幟山笠となり現在に至っています。
山笠に飾り付けられている深紅の幟は、地区の皆さんが慶事の記念にと納めたもので、その1本1本に山笠への愛着がこもっています。

法被は紺地に「魚町」を白抜きし、腰の模様は「魚」の文字をデザインしています。
鉦のたたき方は2種類あり、川を渡るまでは、もともと上魚町地区の囃子で上(かみ)と呼ばれるたたき方になっています。そして、川を渡っている時はもともと下魚町地区の囃子で下(しも)と呼ばれるたたき方になっているので、よく注意して聴いて見て下さい。

祭の2日目、川渡りが終わった後、婦人会の方々が作ってくれた温かい豚汁が担ぎ手を待ってくれています。
冷えた体を温めてくれるこの味は、「格別」です。
バレンを切ったり、飾り付けたりと婦人会をはじめとして地区の方々には様々な場面で協力してもらっています。そして、それが担ぎ手の支えとなって、毎年、川を渡ることができます。

投稿者:川渡り青年友志会
四番山笠 鉄砲町(てっぽうまち)
集合写真(18年度)
法被
大正の終わり、鉄砲町地区・下伊田地区、この2つの地区の共同山笠がありましたが、後に下伊田に譲ったため、京都郡久保村から山笠を購入しました。その時、鉦も同時に購入しています。
バレンの色は、昔ながらの5色で彩られています。
このバレン作りや山笠の整備等、本番への準備をとおし、地区の団結がより一層深まっています。
神幸祭前日には山笠本番に向けての最終準備を整えたり、夜通し山笠周辺にて夜警をしたりと寝不足で目を真っ赤に腫らした青年も中にはいますが、そんな疲れはなんのそのです!
また、川渡りが終了し、地区に帰って行く際には、鉦の音色に合わせて育成会が笛を吹いて帰って行くのも見所の一つです。
投稿者:川渡り青年友志会
五番山笠 川端町(かわばたまち)
集合写真(18年度)
法被
山笠の特徴として、棒締めにロープを使わず、カズラを使います。
山に入り、青年団を中心に大小様々なカズラを採ってきて、それから1日かけて棒締めを行う作業を行います。
この日が準備の中で1番楽しく、また盛り上がる日でもあります。
この棒締めのカズラを是非1度見に来て下さい。
地区のメインカラーは緑、また、鉦は外鉦といって、鉦の外側をたたく方法をとっています。
区長を先頭に、総務、青年団が中心となって山笠本番への準備を行い、毎回熱い意見の飛び交う中、「事故だけは絶対に起こさない!」これだけを気を付けて、のびのびと楽しく運営してします。
投稿者:川渡り青年友志会
六番山笠 番田(ばんだ)
集合写真(18年度)
法被
古くは踊り山笠、太鼓山笠としての出駕でしたが、現在は幟山笠となっています。
山笠に欠かせない鉦の音色は、踊り山笠の流れを引継ぎ、鉦の内側をたたく内鉦となっています。

バレンの色は昔ながらの五穀豊穣の願いを込め、赤・白・緑・黄・紫の5色となっています。
山笠の特色としては、かき棒が他の地区に比べると短めだということ。
それは、町内全世帯の人にお披露目するために数センチ単位で山笠の方向を変えたり、狭い路地を運行しなければならないためです。

平成17年の1日目に川に入る前に梁の部分が破損してしまい、このまま運行が不可能ではないかと心配されましたが、青年団はもとより、町内会の方々とのチームワークで応急処置を施し、無事に祭を乗り切ることができました。
平成18年、大補修工事を行い、気分も新たに出駕し、平成17年の分まで大暴れしました。
投稿者:川渡り青年友志会
七番山笠 橘(たちばな)
集合写真(18年度)
法被

伊田町中心部に位置する伊田商店街とその近辺から成る橘区。この地区の山笠は昭和54年まで踊り山笠でしたが、昭和55年から現在の幟山笠となりました。この幟山笠になった際に、踊り山笠のときに飾られていた龍の彫刻を取り付けています。
また、商店街の中では踊り山笠を子供たちが元気に引いています。
衣装は橘区のカラーである青と白の浴衣を着用ですが、川に入るときには今では少なくなった、さらしに短パンという昔の装束となっています。
神幸祭の準備は、青年会を中心として、区民皆で取り組んできました。バレン貼りの作業は、今年、伊田商店街の中で行いました。
また、橘区の文字の入った幟も今年作りました。
橘区の特色ですが、区でお守りを作り、風治八幡神社にて安全祈願をして、担ぎ手の皆にそのお守りを渡しています。
このお守りは大変評判が良く、お守りを集めるために担いでいる人もいるくらいです。
平成18年、中心棒を新しいものに変えました。
投稿者:川渡り青年友志会
八番山笠 新町(しんまち)

集合写真(18年度)

法被

現在の山笠は、平成15年に建造した幟山笠で、地区の皆さんをはじめとした、たくさんの方々の協力をもって作られました。それ以前に使用していた山笠は、昭和2年に建造され、約80年間使用されました。

化粧幕(土台より上に張る幕)は、西陣織を使用しており、とても豪華絢爛です。
法被も山笠にあわせて新調し、紺から白へと一新しましたが、柄は今までの歴史も踏まえ、レンガ格子としました。

鉦も新山笠建造に伴い新しくしました。囃子は外側をたたく外鉦方式で、大通り地区や川端地区とほぼ同じ調子で、3パターンあります。(以上まで小林)
当地区の賄い料理はどれも格別ですが、中でも丹精込めて作っていただいた「串カツ」と川渡りで冷えた体を芯から温めてくれる「豚汁」は最高です。
平成15年、次第にさびれ行くふるさとを想う志を同じくし、この祭りを愛する事を己の誇りに据える者が集い、久しく途絶えていた地域の青年団を復活させました。
この祭りに参加する地域の全員が己の魂を燃やす事で、1年のうち2日間というひとときだけでも生きていく事の喜びが実感できるよう、我々青年団員は「突き抜けるような青空」のように人の喜びや嬉しさ、また苦しみや悲しみ、痛みなど、生きる事のすべてを噛み締めた男になれるよう努力を続け、この「祭り」とそれを担う「未来」を創っていかなければならないと思っています。(以上まで杉元)

投稿者:川渡り青年友志会
九番山笠 三井伊田(みついいた)
集合写真(18年度)
法被
三井伊田地区の山笠の歴史はまだ浅く、平成19年で7回目の参加になります。当地区は、かつては炭鉱住宅の町であり、道幅が狭く、電線等も低かったため、山笠を作り神幸祭に出駕することが出来ませんでした。
田川にいながら、山笠のない地区に生まれ育った我々にとって、この川渡り神幸祭に出駕することが幼い頃からの夢でしたので、神幸祭に始めて出駕出来たときの喜びと感動は今でも忘れません。
法被は、背中に「三井伊田」の文字をマークで表し、下に炭鉱のシンボルである2本の煙突とボタ山を表したデザインで、バレンは明るい色に変えています。
三井伊田青壮年会を中心に総勢100名を超えるかき手が参加する一番大きな山笠です。
全長8.5m、全幅3m、総重量約4t と、とても大きく重たい山笠ですので、細やかな動きやスピード感はありませんが、重量感ある「大がぶり」や山笠の「存在感」を楽しんでもらえると思います。
川から上がった後の楽しみは、冷え切った身体に染み渡る熱くてコクの効いた豚汁です。かき手のことを考えて料理してくれる賄い方の皆さんに感謝です。
投稿者:川渡り青年友志会
十番山笠 栄町(さかえまち)
集合写真(18年度)
法被
平成17年まで使用していた山笠は11台の中で最も古く、昭和25年に踊り山笠として建造され、唯一、踊り山笠の面影を残すものでした。
しかし、平成17年お旅所前にてマスト(バレンを付けている山笠中央の柱)が折れ、さらにかき棒が折れるというアクシデントがありました。
その後、地区で山笠を建造する事を決定し、55年ぶりに建造。踊り山笠ベースのものから、幟山笠に生まれ変わりました。
バレンの色は、先端から紺・白・赤・黄・緑の5色で彩られ、その本数は旧山笠時代からの名残で200本、綺麗に均等に開くように工夫されています。
鉦は、鉦の内側をたたく方法で内鉦と呼ばれ、今でも変わらず豊前流れのたたき方を守っています。
法被は龍のデザインをあしらった紺色ですが、川に入るときは「男のまつりじゃ!」という意気込みをみせるため、法被を脱ぎ、さらしと短パン姿になります。
平成18年は当番区であり、さらに新山笠での出駕でもあったので、今まで以上に気合が入り、記念すべき神幸祭となりました。
投稿者:川渡り青年友志会
十一番山笠 上伊田東(かみいたひがし)
集合写真(18年度)
法被
上伊田東地区は会場から最も遠く、山笠がこの会場に着くまで約1時間半かかります。こうして長い時間をかけて山笠を運んでくるため、現地の様子を遠目に見つけたときには、さらに気持ちが盛り上がって「よっしゃー!」と叫びたい気持ちになります。
山笠は今年で13年目になり、幕も同じく13年間使用しています。バレンは、先端から白・ピンク・オレンジ・黄・赤となっており、法被は白地に紺のギザギザで、新撰組をアレンジして作っています。
鉦のたたき方は鉦の外側をたたく方法で、外鉦と呼ばれます。その音色はどこの地区とも違う独特のものです。
比較的年齢層の若い者が集まり、皆で一致団結して、神幸祭に向けて準備を行い本番に臨んでいます。
投稿者:川渡り青年友志会
由来
風治八幡宮は古く伊田大神と稱(しょう)して海津見神(わたつみのかみ)を祀りし地主神にてありしが、神功皇后御征韓の砌(みぎ)り、筑紫より穴門(山口県下関)の豊浦に環御の折、俄(にわ)かに暴風雨起こりし為、社前の大石に腰を掛け給いて、親しく御佩(おはか)しの太刀を献上して天神地祓及伊田大神に祈願せしに暴風雨忽(たちま)ち治まりつゝがなく穴門に至り給う。降って弘仁五年六月大旱魃(だいかんばつ)により五穀、悉(ことごと)く枯れんとせしに郡司、伝教大師をして伊田大神に祈念せしめ潤雨(じゅんう)ありて五穀豊穣す。

弘仁八年、伊田宮山の地に社殿を造営し、霊験あらたかな奇瑞(きすい)を後世に伝えるため、風の一字を加えて風宮とし、蓮台寺・長松寿院の両院を開いて神宮寺となす。
元和元年國主細川公、手永制度を定め(上赤、下赤、山浦、大内田、小内田、上今任、下今任、桑原、秋永、安永、伊加利、上伊田、中伊田、下伊田 十四か村を伊田手永と稱(しょう)す)當社を伊田手永大社と定め崇敬厚く、降って元禄元年國主小笠原公聖后御凱旋の神徳にちなみて風治の字を贈りて風治八幡宮と改稱し今日に至る、五穀豊穣、殖産工業、厄除開運、交通安全守護神として崇敬篤く参拝者のたゆる事なし。

なお、平成19年2月に「神社」から「宮」になりました。

社紋「左三つ巴」
投稿者:駆(かける)
当番地区
当番地区は、氏子14地区の1年ごとの輪番制になっています。主な仕事としては、
① 風治宮の注連縄(しめなわ)取り替え



② みこし運行
③ 彦山川仮歩道整備・仮鉄橋の設置および撤去
④ 彦山川底の整備
⑤ 提灯飾りつけおよび取り外し
⑥ 諸経費確保のための募金活動および芳名看板製作
⑦ お旅所への山笠順番看板の設置、停車位置の印し付け

⑧ 風治八幡下~伊田郵便局間の山笠停車位置の印し付け
⑨ 彦山川の水位調整

⑩ みこし出しの手伝い

などを行っています。14年に一度とはいってもかなりの重労働であり、地区をあげて取り組んでいます。ちなみに、平成20年度は下伊田が当番地区となっています。
(参考)風治八幡神社氏子区(当番地区順)
上伊田東
上伊田西
上魚町
下魚町
橘
番田
川端町
大通り
日の出町
新町
栄町
三井伊田
下伊田
鉄砲町
投稿者:駆(かける)
山笠の大きさ
それぞれの山笠を厳密に計測したわけではありませんが、それぞれの地区内の進行ルートなどの事情により大きさが違います。大きさでグループ分けをしてみました。
小型 鉄砲町 番田 (鉄砲町の山笠が起源といわれています)
中型 大通り 上伊田東 橘 川端町 下魚町 (独自の設計による山笠といわれています)
大型 下伊田 新町 栄町 三井伊田 (下伊田の山笠が起源といわれています)
三井伊田の山笠は、総重量が4tもあるといわれ、70~80名もの若者が精一杯山を動かしています。この計算でいくと、1回ごと山笠を動かすたびに50㎏/人の荷重がかかります。ちなみに、平均的な重量は2~3t程度のようです。

三井伊田の山笠
投稿者:駆(かける)
川渡り青年友志会とは
「川渡り青年友志会(かわわたりせいねんゆうしかい)」は、風治八幡宮の氏子であり、山笠を出駕(祭りに山笠を出すこと)している全地区の青壮年組織と風治八幡宮により平成7年に設立されました。事務局は、風治八幡宮内に置いています。
活動は、「お汐井取り」、「安全祈願祭」、「新年年賀式」、「競演会」、「親睦会」、「反省会」などがあり、各地区間の親睦並びにこの祭りの発展を通じての田川地区躍進を目標としています。
また、ここ数年においては、風治八幡宮夏越祭への協賛出店や風治八幡宮神殿の注連縄(しめなわ)づくりも行っています。
お旅所前に勢揃いした役員及び各地区代表会員(平成20年5月18日(日))
会長 杉元 康弘 (新町区青年団相談役)
副会長 上田 達也 (三井伊田青壮年会相談役)
副会長 山内 亨 (川端町青年団会長)
会計 石上 琢磨 (栄町山笠をかつぐ会前会長)
代表会員 奥永 孔太郎 (上伊田東青年団団長)
代表会員 山崎 雅宏 (下魚町区清流会会長)
代表会員 石川 昇平 (橘区青年会会計)
代表会員 岡村 英世 (番田地区青年団団長)
代表会員 須崎 太一 (川端町青年団団長)
代表会員 中ノ森 正臣 (大通り地区青壮年部部長)
代表会員 美川 修二郎 (新町区青年団団長)
代表会員 高崎 哲夫 (栄町山笠をかつぐ会会長)
代表会員 櫻井 剛 (三井伊田青壮年会会長)
代表会員 渡辺 丈敬 (下伊田区誠友会青年部部長)
代表会員 吉川 剛 (鉄砲町青年団団長)
事務局長 宇都宮 正幸 (風治八幡宮権禰宜(ごんねぎ))
事務局 植木 伸一郎 (番田地区青年団前団長)
相談役 奥永 秋弘 (上伊田東・当会前会長)
相談役 田守 健治 (下伊田・当会前副会長)
相談役 古賀 和光 (大通り・当会前副会長)

役員および代表会員用法被
投稿者:駆(かける)
川渡り競演会
初日の川渡りにおいて、みこし2基を中央に据え、各山笠は川の上流から下流まで一直線に並びます。10番山笠が川に入った時点で既に川にいる各山笠は囃子を終了します。11番山笠が川に入った後、すぐ囃子を終了し、川面は一時の静寂に包まれます。

みこし指揮者の合図によりみこし2基が同時に立ち、各山笠は前を上げたまま止め、囃子の「ダブリ(連打)」を行います。みこし2基が川の上流下流に分かれて進んだのち、各山笠は「ガブリ(山笠を前後に倒す)」をひとしきり行い、「流れ終了」となります。

競演会終了後、みこしは上陸のため彦山川下流に向かい、山笠もこれに続きます。
これは、当会5周年事業として、平成12年度に初めて行って以来続けて実施しており、初日の川の中におけるクライマックスとなっています。
山笠の競争はこの後行われます。



投稿者:駆(かける)
規約
川渡り青年友志会規約
第1章 「総 則」
第1条(目的)
本会は、福岡県指定無形民俗文化財”川渡り神幸祭”において、風治八幡宮の御輿のお供である山笠をつつがなく運行するとともに伝統ある祭りの継承を主なる目的とし、もって各地区青年相互間の親睦を図りながら”川渡り神幸祭”の発展並びに田川地区の活性化に貢献することを目的とする。
第2条(名称)
本会の名称を”川渡り青年友志会”とする。
第2章 「組 織」
第1条(役員)
本会には、会長1名、副会長2名、会計1名、幹事1名、若干名の顧問・相談役・監査役を置くことが出来るものとするが、顧問の就任資格は、役員経験者を原則とする。
第2条(事務局)
本会の事務局は風治八幡宮社務所内に置くものとする。
第3条(幹事)
幹事は原則として当番区の代表会員が行う。
第4条(代表会員)
”川渡り神幸祭”に山笠を出駕している氏子地区で、山笠の運行に携わっている運行責任者又は役職者とする。
第3章 「行 事」
第1条(お汐取り)
毎年4月の最終日曜日午前6時より、深倉峡にてお汐取りを行う。
第2条(安全祈願祭)
毎年4月の最終日曜日午前8時より、風治八幡宮にて安全祈願祭を行う。
第3条(親睦会等)
毎年3月第3土曜日に親睦会、毎年6月第1土曜日に反省会を行う。
第4条(その他の行事)
その他、風治八幡宮に関する行事等を行う。
第4章 「役員の職務・選任・任期」
第1条(会長)
会長は、本会を統括し会を代表する。
第2条(副会長)
副会長は、会長を補佐し、会長が事故等により職務を遂行出来ない場合はこれを代理する。
第3条(会計)
会計は、会の出納に関する事務を行う。
第4条(幹事)
幹事は、その年の決定事項などを伝達する。
第5条(顧問・相談役)
顧問・相談役は、会の総合的な運営に対して適宜助言を行う。
第6条(事務局)
事務局は、会員との連絡の他、広報・支援・会計等と密接に連携しながら事務的運営をとり行う。
第7条(役員の選出)
役員は、役員及び代表会員による会議において選出する。
第8条(役員の任期)
役員の任期は1年とする。但し、再任は妨げない。
第5章 「会 議」
第1条(会議の招集)
本会の会議は、必要に応じて会長がこれを招集する。但し、他の役員若しくは代表会員において必要と思われる場合は、会長に会議の招集を請求出来るものとする。
第2条(会議の成立)
会議は、会長の招集した者の3分の2以上の出席を以って成立するものとする。
第3条(議案の成立)
議案は、出席者の2分の1以上の賛成により成立するものとする。
第6章 「会 計」
第1条(会計収入)
会計収入は、会費、事業収益、寄付金、その他の収益を以ってあてる。
第2条(会費)
会費は、年8,000円とする。
第3条(会計年度)
会計年度は、毎年7月1日に始まり次年6月30日に終わる。
第7章 「補 則」
第1条(その他)
その他、規約にない事案については、役員会、役員及び代表会員による会議、風治八幡宮他関係者により決定するものとする。
(付 則)
本規約は、平成13年7月1日から施行する。
投稿者:植木
山笠の順番
現在、進行の順番は、
初日 みこし(風治→白鳥)→各山笠(1~11番)
2日目 みこし(風治→白鳥)→各山笠(11~1番)
となっています。みこしは、両日とも風治→白鳥の順となっています。山笠の順番は、各地区の申し合わせにより、次のように定められています。
①1番 は当番地区
②2~7番 は抽選
③8番 下伊田、9番 三井伊田、10番 栄町、11番 上伊田東 は固定
8~11番山笠は、2日目の帰り道が遠いため固定されています。以前は、10~11番だけが固定でしたが、ここ5~6年間で増えました。
当番地区が固定順番の山笠である場合も1番山笠となりますが、初日の川渡り直前で固定の順番に戻って川渡りを行うこととしています。
その場合、2番山笠が先頭となって川渡りを行います。2日目は、初日とそのまま逆の順番で川を渡ります。※平成20年もこのとおりとなり、初日は2番山笠の大通りが1番目、1番山笠の下伊田は8番目に川を渡ります。

平成18年の1番山笠栄町は固定の順番に戻るため道中で後続に道を譲りました
なお、獅子舞奉納の上伊田西とその他側面補助を行っている日の出町と上魚町が当番地区である場合は、1~7番が抽選となります。
風治八幡神社下に並んだみこしと山笠
初日の川渡りの際、川の下流でしばらく停車している山笠を見かけられることもあると思います。これは、「みこし待ち」の状態です。みこしは上陸後、すぐにお旅所の敷地には入らず、いったんお旅所前を右折し、新橋まで行ってからお旅所に入ります。
山笠は新橋まで行かず、そのままお旅所内に入るのですが、みこしを追い越すことができないため、みこしが新橋から戻りお旅所内に入った後、それに続きます。後ろの山笠は、みこしが「現在どこにいるか」までは確認できません。「前の山笠が動いたら自分も動く」という不文律に基づき行動するため、このように「溜まった」状態が見られます。
また、2日目のお旅所内での「動き始める順番」は、11番→1番山笠の順となっています。前の山笠が動かないうちに次の山笠が動くことはできません。初日の山笠をお旅所内の所定位置に納める場合も同様、みこしが鳥居を通過した後、1番→11番の順番を守って山笠を納めることとなります。
(参考)風治八幡神社氏子区(当番地区順)
上伊田東
上伊田西
上魚町
下魚町
橘
番田
川端町
大通り
日の出町
新町
栄町
三井伊田
下伊田
鉄砲町
投稿者:駆(かける)